4月24日午前に肺炎でお亡くなりになった小出義雄監督の名言集やエピソードを紹介します。

小出義雄監督と言えば、2000年のシドニーオリンピックで優勝、世界新記録まで出した高橋尚子さんとの固い絆。

そして、金メダルの原動力はあの言葉でした。

高橋尚子さんに365日言い続けた魔法の言葉

 

「お前マラソンで世界一になるよ」

 

当時の高橋尚子さんは無名の選手といっていいほど実績がなかった選手。それでも小出義雄監督に教えを請うべくリクルート・ランニングクラブの門を叩きます。

そこで初めて見た高橋尚子さんの走りにセンスを感じた小出監督は、魔法の言葉を365日間、毎日、高橋さんに投げかけるのです。

「お前マラソンで世界一になるよ」
「勝てるよ、世界一になれるよ、お前なら絶対出来る!」

始めは、冗談半分で聞いていた高橋さんですが、毎日その言葉を聞いているうちに「本当になれるかも」と思うようになったそうです。

後日談で高橋さんはこのように話しています。

「弱い私を育ててくださり、オリンピック、世界記録も出させていただいたのは小出監督のおかげ。教わったことがすごくたくさんある。それを伝えていけるように。教わったことを忘れないようにしていきたいと思います」

高橋尚子さんの涙を見ると久しぶりに師弟の凄さや良さ、信頼度関係の固さなどを感じることが出来ました。

改めて、小出義雄監督は偉大な方だったんだなと思いました。

小出義雄監督の名言集

ここからは、小出義雄監督の名言を一挙に紹介します。

私の教え方は、夢と希望を持たせることです。
「勝てるよ、世界一になれるよ、お前なら絶対出来る!」
と毎日誠心誠意言い聞かせると、
心が通じて人間の脳は
「なるほどな!」となるわけです。
そのなるほど!が高橋の場合、
金メダルにつながりました。

 

一つのことに打ち込んでこそ
いい仕事ができる。

 

逆風は君を潰すためではなく
飛躍させるために吹く。

 

本当に陸上が好きなら、
神様が同情してくれるくらい
好きにならなきゃいかんよ。

 

焦らなくていい
大きな山は
ゆっくり登れ。

 

どんな世界であってもいい。
好きなものを一つ見つけなさい

そして、夢を失うことなく
最後まで持ち続けなさい。

夢を持ち続ける限り
心も体も
若さを保つことができます。

 

他人を超えるには
自分独自のやり方、考え方を
実行しなければならない。

 

何か一つのことを
やり遂げようとしたら

ある程度、信念を持って
貫かなければ
成功しない。

 

もしかしたら
非常識だと言われるかも
しれません。

しかし非常識も正しければ
結果は出ます。

結果が出れば
それが常識となっていくのです

 

大胆さと緻密さの
両方が必要。

 

怖がっていては
何も始まらない。

 

人間はやはり
悔しい思いも
経験しなければダメだと思う。

悔しい思い出の数だけ
人としての力が増す
と言ってもいいかもしれない。

小出義雄監督の言葉いつも、励ましと、緻密さと、温かさがあるように思えます。そして何よりも経験から得たこと、体感したことを上手く言葉として表現したんだろうなと感じています。

 

愛弟子・高橋尚子さんにかけた最後の言葉

高橋さんは沈痛な面持ちだった。

午後1時40分から約1時間。

今までの「御礼」「一緒に歩んできた思い出」などと恩師に語りかけた。

ただ、いつもと違って目は閉じたままだった。

「本当にすぐ目を覚ましそうで…。『高橋です』と言ったら、目を開けていなくても『分かるよ。声で』っていう言葉がいつも返ってきていたので。今日もそうやって目を開けてくれるんじゃないかと思って。すごく苦しい思いになりました」。高橋さんの目から涙がこぼれ落ちた。

3月下旬。小出さんから電話があった。「俺はあと1日、2日だよ」

最初はいつもの冗談かと思い「何言っているんですか」と返したが、様子が違った。

「今までいっぱい走ってくれてありがとな。そして夢をかなえてくれてありがとうな」と感謝を伝えられた。

米国にいた高橋さんは「大変なことが起きている」と急きょ、帰国した。

それから何度も病院へお見舞いに行き、4月以降は手紙も「7、8通」渡したという。

最後に対面したのは4月18日だった。

小出さんの意識もしっかりしていた。

「俺もうダメだからさ。お前はこれからも輝いていけよ」と伝えられた。

それが遺言となった。引用:yahooニュース

「お前はこれからも輝いていけよ」

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