2018年スキージャンプで平昌オリンピックに出場し、今シーズンのスキージャンプ・ワールドカップで日本人初となる総合優勝を果たした小林陵侑選手が5月19日に放送される「ジャンクスポーツ」や『行列のできる法律相談所』に出演されます。
初めてのバラエティー番組に出演されるのですが、今注目の小林陵侑選手とは、一体どんな選手なのでしょうか?
また、覚醒のような急成長を果たした理由を調査しましたので紹介します。
小林陵侑さんの経歴やプロフィール
名前:小林陵侑(こやばし りょうゆう)
生年月日:1996年11月8日
出身地:岩手県八幡平市
出身中学:八幡平市立松尾中学校
出身高校:盛岡中央高等学校
クラブ:土屋ホームスキー部
小林陵侑さんは4兄弟の3上から番目。下には弟。上にはお兄さんとお姉さんがいます。
スキーを始めたのが5歳の時で、スキージャンプを始めたのが小学1年生ということですから、オリンピックに出場する方は、この年代から始める方が多いですよね。
また、小学1年生がスキージャンプですから、初めから怖くなかったんでしょうか?私は、小学校5年生の時に初めてスキーをやりましたが、怖くて仕方がありませんでした。
そう考えると、ある意味、幼少の頃に恐怖感を無くす意味では丁度良い年代かもしれませんね。
小林陵侑さんは、高校生まではノルディック複合選手としても大会に出場しており、中学時代には、ノルディック複合とジャンプで2冠を達成。
すでに中学時代からその才能とセンスが出始めていたとはやはり凄いとしか言いようがありません。
高校卒業後は大学に進学せず、2015年4月にあのレジェンド葛西紀明選手が選手兼任監督として所属している「土屋ホーム」に入社しています。
葛西紀明さんの場合は10歳でスキージャンプを始めたそうですが、10歳からスキージャンプを始めるのは少し遅いスタートということ。
そう考えると、やはり、小学1年生から始めた小林陵侑さんは丁度良かったのでしょうね^^
小林陵侑さんのワールドカップデビューは、2016年。
団体戦の交代要員として20歳でワールドカップに出場。ワールドカップの翌シーズンから個人戦のメンバーにも選ばれましたが最高順位は33位と不本意な成績で終わります。
現在は表彰台の常連ですが、初めから凄かったわけではなかったのが、個人的には興味深いですね。
というのも、平昌オリンピックのノーマルヒルで日本人最高順位の7位で入賞します。
そして、オリンピック後のフィンランドでおこなわれたワールドカップでは自己最高の6位と躍進。
そして2018-2019年シーズンでは、ポーランドでおこなわれた個人戦の開幕戦で3位に入り、ワールドカップ初参戦から3年目での初の表彰台と覚醒をした小林陵侑さんが見られることになります。
では、なぜ?小林陵侑さんが覚醒のような急成長を遂げたのか?
このあたりを紹介していきます。
小林陵侑さんの覚醒のような急成長の理由は?
小林陵侑さんの覚醒のような急成長の理由は主に2つ。
急成長の最大の理由は「助走の精度」にあったということです。
小林陵侑さんが言うには、助走では、重心の位置をミリ単位で調整したということですから驚きです。
スキーを経験された方ならわかると思いますが、雪という路面の上で滑る行為だけでもなかなか思うようなコースを取れないことが普通ですが、それを助走の段階で調整するのですから、これまでの努力がなければ出来ない技ですよね。
というか、そういった発想にもならないと思います。
2つ目が、脳波トレーニングで平常心を取り戻すというメンタルトレーニングを取り入れたことも覚醒のような急成長の理由だと小林陵侑さんは話しています。
緊張の連続からどうすれば自分自身の平常心を取り戻すことが出来るのか?このあたりを突き進めた結果、脳波トレーニングに行き着いたそうです。
これがきっかけで、緊張と共に戦うことが出来たそうです。
平常心=緊張と共に戦う
私にとってこれは、目からウロコのような言葉でしたね。
平常心を取り戻すことで本来の力を正当に引き出すのがトレーニングの主旨だと思っていましたが、緊張までを自分の中に取り込んでしまう。
たしかに、緊張も自分自身の中から湧いてきた感情ですから、無理に排除するのではなく共有すながら乗り越える。
これが出来れば、本当に怖いものは何もない状態になりますからね。
まとめ
4人兄弟の上から3番目
小学1年でスキージャンプを始める
中学1年でノルディック、ジャンプの2冠
高校卒業後、土屋ホームに入社
ワールドカップで日本男子史上初めての総合優勝
新たなコーチ陣のもとでさらなる進化を遂げようとする小林陵侑さん。
覚醒のような急成長の理由には本当に目からウロコでしたね。
引き続き、小林陵侑さんを応援していきます^^