こんにちは!気分やジョニーです。
メゾン・ランドゥメンヌのクロワッサンが
美味いって話しを聞いて
それが、パンの本場フランスで有名と知り、
さらにそのクロワッサンを作っているのが
日本人女性というから
居ても立ってもいられなくなり
メゾン・ランドゥメンヌのオーナーである
石川芳美さんのことを調べていましたw
石川芳美さんのことを調べれば調べるほど
「すんげー母ちゃん」だったことに驚愕しながらも
その生き様が「励みになる」という
気分やジョニーらしからぬ感情になってしまいましたw
それでは、石川芳美さんのプロフィールや経歴を紹介していきます。
期待していてください^^
石川芳美さん(メゾン・ランドゥメンヌ)のプロフィールや経歴は?
現在の石川芳美さんはメゾン・ランドゥメンヌを始め
パンのスクールも運営するなど、
実業家としても活躍されています。
とにかく、すんげー母ちゃんなわけですが
そんな最強母ちゃんも35歳の時に離婚を経験され
子供3人を残し、単身フランスへ渡仏します。
これがメゾン・ランドゥメンヌ石川芳美さんの
最初の一歩です。
で、完全に私感ですが、
30歳を過ぎてから新たな挑戦をするかたって
子供や家族を日本に置いて
単身で海外に行かれる方が多いように思いますね。
石川芳美さんは東京都出身で、現在53歳(2019年現在)
幼い頃からさまざまな稽古ごとを
習っていたと言いますから
お家柄の良かったお嬢様だったかもしれませんね。

引用先:https://recipe.cotta.jp/pro_recipe/013/prof.php
↑この出で立ちなら、お嬢様だったことは間違いないですよね?
というか、
むちゃくちゃ「シュッ」としていますよね。
すごく綺麗な方です^^
習い事を活かし、短大を卒業後に
ヤマハ音楽教室に就職し、
エレクトーンの先生をしていました。
これも私感ですが、、、
30年前にヤマハ音楽教室のエレクトーンの先生ですから
当時のことを考えれば、
なかなかの就職先というか、
生徒さんもそれなりのお金持ちの方が
習っていたかなって。
そうなると、やっぱり石川芳美さんは
お嬢様出身だったと思います(笑)
普通なら、そのまま働いて
良い人がいれば結婚となる人生が
普通かなと思うんですが、
石川さんは、音楽の仕組みの中で教壇をする
限界を悟って辞めてしまいます。
そして、21歳の時に結婚。
漬物店に嫁ぎます。
漬物店に嫁いだものの、
漬物についての知識をもっていなかったので、
二代目の女将として、
発酵の勉強をしたほうがいいだろうと思ったそうです。
そんな時にパン教室の募集を見かけ、
漬物とパンは発酵で繋がりがあると思い、
そこからパン作りのスクールに3年間通よわれます。
そして、これは後でわかったことなんですが
ヤマハ音楽教室は石川さんが運営していたそうで
すでに実業家としての野望を持っていたとか。
そんな石川さんの仕事は順調そのもので
29歳からはアラサー女性を対象にした
サークルを始め、
パンスクールを卒業してからは、
パン教室を開いたり、
パンを売り始めたりと完全に実業家です。
で、ふと疑問に思ったんです。
嫁いだ先の漬物店とご主人、
家族との仲はどうなのかって。
もしね、自分とこの嫁が
パン屋は開くは、パンスクールは開くは、
さらには、サークルまで始めちゃったら
夫婦仲は最悪になるだろうなって。
仕事とは反比例して家族とのひずみは大きくなるばかりでした。
明確なきっかけがあったというよりは、
いろんなことが重なって、結果、
人生がかわっていたというイメージです。
仕事が順調だった時、
「もっと家にいて、子どものめんどうをみてほしい」と、
元夫に言われたんです。
もちろん、彼の言葉はもっともだったのですが、
その時の私のことを理解してもらうのは
難しいんだなと思いました。
そのあたりから、
すべてを100%で頑張ることが難しくなったんです。
引用先:https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/lifestyle/interviews/a1075/living-your-own-life-yoshimi-ishikawa/
そして、35歳の時に離婚をして
女性としての幸せのひとつである子どもたちとの別れ、
さらにうつ病を発症。
それまでおこなってきたすべての仕事を
辞めないといけないほど、追い込まれていきます。
[ad]35歳で渡仏へ!観光ビザのみの滞在予定がフランスに住んでまでパンへの情熱が湧き上がってきた第2のスタートの幕開け!
35歳でフランスへ渡る石川さんですが
当初の予定は、観光ビザ程度の滞在しか考えていなかったそうです。
出来れば、本場フランスでパンの修行をしたい。
この程度の考えだったそうですが
何店舗か仕事の相談をしていた中から
1店舗だけ仕事のオファーがあり、
そこへ就職。
もちろん、短期間の就労予定でしたから
帰りの飛行機のチケットは持ったまま。
しかし、そこから石川さんの
実業家としての、パン職人としての
腕が本領発揮をします。
就労してからほんのわずかで
その店のナンバー2までに。
お店にとっては
なくなてはならい石川さんになっていますから
辞めるに辞めれない。
そして石川さんは決断をします。
「このままフランスに住もう!」と。
当時のことを石川さんはこう綴っています。
私は、離婚をして、3人の子どもを日本に置いて35歳でパリへ行きました。
お金もない。あるのは、パンを作る腕と情熱だけ。
「あーでもない、こーでもない」と言える状況ではなかったんです。
だからお金をくれるところで働くしかなかった。
でも、子どもたちと一緒に暮らせない生活は当時の私にはつらすぎて、
日本にはいられなかったからフランスに行ったんです。
引用先:https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/lifestyle/interviews/a1075/living-your-own-life-yoshimi-ishikawa/
そしてここから、石川さんは不死鳥のように蘇ります。
2004年には、『Yoshimi Boulangère』を設立し、
パン専門のコーディネーターとして始動。
2006年には、日本に食専門のコーディネート会社である
(株)Yoshimi Boulangère Internationalを設立。
そして同年に再婚。
フランスで結婚したロドルフ・ランドゥメンヌさんと
パリ9区に『Maison LANDEMAINE』1号店をオープン。
現在は、フランスや日本に約10店舗の「メゾン・ランドゥメンヌ」と
パンスクールを1校、運営されています。
最後に石川さんはこう話しています。
私は50代で社長業を退きたいと考えていますが、
30億を売り上げる企業に成長させたい。
できれば自社ビルを持ちたい。
フランスを中心にヨーロッパ圏、中東、
アジア圏と…世界中に散らばるぐらい
店舗を増やしていきたい…と、
実現したことはまだまだたくさんあります。
あと10年弱で今、思い描いていることがどれぐらい実現できるのか。
若い世代にバトンタッチした後は、
フランスの田舎に小さなお城か、
大きな家を買って、
夫と私のラボを作りたいと思っています。
夫には、「またそこで新たな事業を創めるんでしょう」と言われていますけど(笑)。
いやあ、ほんとに凄い方でしたね。
色々と調べているうちに、
なんだか、こっちまで熱くなってきました。
色々と見習うところはありますが
とりあえずは、ボンジュールから頑張りたいと思います(笑)